日常ときどき妄想

退屈な日々をいかに楽しむか それが人生

ピアノの先生のこども

最近、習い事の種類って格段に増えましたよね。

英語だったり、ゴルフやスケート。

”子供がやるの?”みたいなものまで多岐に渡ります。

 

一昔前の習い事といえば、ピアノ、お習字、スイミング!みたいな感じだったのに、時代の変遷というか、習い事ランキングの変化を辿るのもなかなか興味深そうですね。

 

私の小さい頃は一昔前なので、お友達の習いごとも似たり寄ったりな感じでした。

その中でも、女の子の大多数はピアノを習っていた、又は習った事があるというのが今時の習い事事情と異なる点かもしれませんね。

 

そんな私も、ピアノをずっと習っていました。理由は、母がピアノの先生だったからです。なので、私と兄は幼いころから自然と音楽に触れ、ピアノを弾くのが日常でした。

ピアノの先生といっても、その頃は沢山の人がピアノ教室を開いていました。中には、音大とか関係なく、ただ単に自分が習っていたからというだけでやっているという人もいたようです。母は、ヤマハの講師の経験から、のんびり細々と自宅でレッスンをしていました。

私の母のことは、近所や学校でも有名で、私が”ピアノの先生のこども”ということは周りの人はみんな知っていました。

 

でも、私は母にピアノを習ったことはほとんどありません。

よく、スポーツ一家みたいなので親とみっちり特訓!みたいな家族が出てきますが、あんなことができるのはよっぽど素直で従順な子か、よほど子供の将来に期待をし、コントロールしたいと思っている親だけです。

普通、先生と生徒という関係であれば、先生は”できない”ということ自体を怒るということは稀でしょう。仮にできなければ、何故できないか、それを考えフォローするという立場を貫くのがその役割です。

けれども、親と子という関係のままでいると、親は”できない”ということ自体に憤りを覚え、叱ってしまいます。子もまた、そんな理不尽さや反抗心から、その言うことを素直に聞く姿勢を失ってしまい、ただの親子喧嘩に発展してしまうのが末路です。

 

私も、そんな反抗的な子供だったということと、母も私と非常に考えの似た人なので、私は近所で先生が上手と評判のピアノ教室に通っていました。

 

今思えば、先生は非常にやりにくかったでしょうね 笑

私たち親子は全くなにも感じておらず、普通の生徒として習いに行っていましたけれど、やっぱり逆の立場で考えるとやりにくいなと思います。笑

 

けれども、そこでも、私の事は皆に知られていました。常に”ピアノの先生のこども”というフィルターをかけて、私の演奏は観られていました。

何年も同じ教室で習っていると、発表会などで親同士も仲よくなります。上手な子、下手な子というのも周知され、幸運にも私は上手な子としてちょっと有名でした。

 

でもね、毎年、発表会でどやーっ!といった演奏をしたり、年齢の割に難しい曲を弾いて、お姉さんお兄さんの順番を抜かしちゃうみたいな事をしてもね、なんか、違ったんですよ、私の場合。

「さすがっ!」って感じじゃなくて「さすがよねぇ…(お母さん先生だもんね)」みたいな。

 

当時の私も薄々は感じていましたけど、母親はもっとダイレクトに言われたりしたみたいです。その度に、私は何も教えていないのよと弁解していたらしいですけど、まあ事実ですからね。

 

そういった周囲の視線を浴び続けると、期待もされ、「音大行かないの?」みたいな事を言われたりとかもしました。ですが、当時の私にそんな気さらさらなく、音大出ても職がないよと言ってのけるくそガキでした 笑

 

そんなこんなで中学でピアノを辞め、高校では合唱の伴奏程度しか弾かなかったのですが、大学でバンドを始めて鍵盤をやるようになるっていうのがまた面白いですよね人生って。

それで、音楽でなんかなれたらよかったのになとか思っちゃうのもまた笑えるといいますか。あんなスカしたガキだったのが今や現実を見れなくなっているっていう 笑

 

でもね、やっぱり生まれた時から音楽に囲まれた生活を送ってきた私にとって、どんなに途中、良い感情をもてない期間があったにせよ、結局は自分の核の部分になっているのだということですね。周囲から色々言われ、煩わしくて離れてしまったけれども、その楽しさとか美しさ、気分の高揚はもう一度味わいたいと思ってしまうんですよ。

そうやって思えるのも、大学でバンドに出会った事が大きいとも思いますし、私も大人になったからかもしれません。

でもね、人生ってあの時ああすれば、って思っても、”あの時”はそうしたくなかったから今があるわけで、戻れないからこそ気づけたこととかもあるんだなってすごく思います。

なにが言いたいとかいうのではないんですけど、だからこそ、人生の決断は後悔しないようにしていきたいし、その時の自分に正直にいたいなって思います。後で”ああすればよかった”って思ってもいいんです。それは後にならないと感じられなかったことだと思いますから。

 

色々とこれからの自分と過去の自分を振り返って、徒然なるままな今日でした。

 

アディオス!