日常ときどき妄想

退屈な日々をいかに楽しむか それが人生

自己肯定は他人の承認によって初めて成り立つ

いま、ふたたびの分岐点

そこに立つと、どうしても不安と強がりがまとわりつく


自身の行動に余程の自信と、迷いがない限り

いくらこの道が正しいと言い聞かせても

納得ができないのが凡人だろう



表面上は平静を保ちその選択に自信を持っていても、裏側では恐れ震える



そんな人がもっとも必要としているのが


他人からの承認、肯定だろう



広義を見れば、それは多くの新興宗教や、占い師の商法でもあるといえる



ただただ私たちは、自身の選択に同調と助言を求める生き物なのかもしれない





そんなの、カッコ悪いわ





オラに自信と勇気を!




アディダスアディオス



無関心こそ、悪

ども



最近、国外は物騒なことだらけですね。


日本は平和だなー


とか言ってお茶をすすっている姿こそ日本人らしいですけど


あながち、そうも言ってられない時代になる可能性は大いにあるなと最近はぐるぐると、思考を巡らせている



気づいたら自衛隊が軍になってて 気づいたら外国と一緒に前線で戦ってて 気づいたら徴兵制が始まってて とかありえなくもない話 


いまの政権をみてるとね


このまま民主主義が機能が低下していったら、後々、大変なことになる気がします


現代の日本人には、日本は戦争をするわけないといった気持ちがどことなくあるのは、共通認識といっても、過言ではないでしょう



でもそれに甘えてばかりの無関心は、危険ではないかなと、思いまして


ど左翼みたいな内容ですけど

みんなもっと広い視野をもった方が良いですよと、職場で思ったので書き起こしてみました



選挙いこうね


アディオス

師走

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早いものでもう12月

師匠も走る師走です


初めてずくしでひたすらに走らなければならないことを痛感する日々

そして何処にいても言われることは一緒だということも再認識しました


学生時代は成長にしたがって属する場所のステップが変わるじゃないですか

でも社会に出ると、それが平行移動になるというか
転職はその典型というか

勿論、年を経るごとにステップはあがるのだけれども

なんというかね、平行なんですよ。


転職して、自分がどんな奴かっていうのがはっきりとわかる

そんなことを最近というより、仕事を変えてからすごく思いました。


うむ。久々すぎて、まとまらぬ。

アディオス




はたらくとは

ども

はたらくとは

と以前にも考えていたようなことをまた考え始めた次第です


ただ以前のそれと違うところは

はたらく

の根幹といったら大袈裟だけれども

それに近いところを考えている気がきます

以下、たんぶらに記したものをコピペ

文体が違うのはあしからず



働くとは

女にとって働くとは


キャリアウーマンか腰掛けか


定時か残業か


結婚か独り身か


手取り15万か手取り20万か

 

わからぬ


ただ一つ言えるのは


男で手取り15万はなにも得られない


けど女はなんとかなるという風潮

 

ほんとに?

ひとり立ちできないよ?

家賃払えないよ?

家賃払えないよ?

親が亡くなった時、独身だったらどうするの?


 疑問は尽きない。


簡単に結婚ができるなんて考えない方がいい


結婚しても、専業主婦でなんて暮らしていけない



 あれ?

でも15万あれば充分じゃないか

ふむ。


つまりこうだな。

 結婚さえできれば

 

天国

 

できなければ

地獄




アディオス


何が理想で何が現実か

ども。


だいぶご無沙汰でした。



たくさんの変化があり、別れがあり出会いがありました。


人生の進む方向がかわり、やっとこさ、正しいところに向かっていっている気がします。



ただ、どの道を進んでも

困難はあるわけで

種類は違えども

人は悩むということを思う昨今



1ヶ月前の自分にとって、いまの感情は贅沢でしかない。


わかってはいるけれど、それでも更なる贅沢を望んでしまうのが性




つつましい、思考をしよう




アディオス

ふとした瞬間のほっこりエピソードに泣きそうになった

ども。さぼりにさぼってボロボロになって帰ってきました。


色々なことがここ2週間ほどで起こり、感情の収集をつけるのが難しい日々。

ふとしたことで涙しそうになったり、他人の優しさを疑ったり。


そんな自分に嫌気がさして、癒やしが欲しいなとか思ってた矢先。


コンビニで、アイスとあったかいミルクティーを買った。

アイス2個と小さなペットボトルを、わざわざ別の袋にいれようとする店員のおじさん。

徒歩10秒の距離なので、"あ、いいですよ"と手を伸ばそうとすると

"溶けちゃうから。いいよいいよ、サービスサービス"


と茶目っ気たっぷりな笑顔で話しかけてくれた。

"あ、どうも"

と、照れくさいように答える。
なんか、久々だなと感じた。




おじさんも私も、お互いのことは何も知らない。
その行動には何の裏も意図もなく、ただ相手を思ってのものだろう。


仕事をしている中で、常に思惑だとか意味を求め、マネジメントを繰り返す日々。

当然、その思惑を理解できない人もいる。


そんな人々からの心無い言葉や、上司との板挟みに辟易していた矢先の出来事に、なにか心が解放されたような気分になった。


人と付き合っていく上で、相手の思ってることを汲み取るのは重要なことだ。

でも、汲み取るべき相手が多すぎたり、逆に汲み取った想いがこぼれてしまったりすると虚しい気持ちになってしまう。

私は、この2週間で経験したことにおいて、その虚しさを感じてしまった。

自分のやってきたことが実を結ばないどころか、逆効果であったことを突きつけられてしまった。



そんな私だからこそ、他愛もない笑顔を何の意図もなくかけてくるおじさんが、救いに感じたのだろう。


決して、病んでるとか鬱とかいうのではない。ただ、ちょっと面食らってしまっただけだ。

おじさんが救いになるくらいだから、私もまだまだこれからだ。



アディオス!






世の中、くだらないことで溢れてる

ども。くそみたいな生活が続き参ってますが、浮上のためにも思考の整理を。


また、現代のベートーベンが騒がれてますね。アホかってくらいに。


謝罪会見します、といって化けの皮を剥がれた姿で登場したのは面白みがありました。

でもですね、あの会見での記者のやり取りとか、ほんとは耳が聞こえるんだろ?みたいな質問とか、くだらないことやってんなと思っちゃいますよね。


っつーかさ、あんな偽物責めるより、ちやほやして、持ち上げて、偽装の片棒担いだNHKを叩けよ


 別にですね、あんなおっさんのことなんて、どうでもいいんですよ。別に偽物だったからといって国益が損なわれるわけじゃないですから。


けれどもね、胡散臭さに溢れてる人物の本当の姿も暴けなくて、何が記者で、何が報道なんですかね。


そういうところにもっとさ、厳しくいったほうがいいんではないですかね。



もっと深刻なでっち上げを作らないためにもね。
アディオス。